何が起ころうとも生かされてるという事
私に取っては
何が起ころうとも
生かされている
という学びのテーマの一年だったような
人の優しさ
人の温もり
人の愛
信頼、慈しみ、慈愛
人の理不尽さ
人の冷たさ
人の傲慢さ
裏切り、憎しみ
どちらも、経験した2024年
そこから
パニック障害、適応障害を経験した2024年
自分の心が自分でコントロールできなく
自分の体のコントロールもできない
自分が自分で無くなることの恐怖の中にいた
なんで、私は生きてるの?
なぜ、生きなきゃいけないの?
どうして、こんな仕打ちを受けなきゃいけないの?
そんな事を、ずっと考えてた
暗いトンネルの中を彷徨ってるみたいだった
トンネルの中にいるときは
自分がどうしてこうなったのか
何がいけなかったのか
どうすればいいのか
なんて考えもつかない
でも、やっと
冬至から、やっと「わたし」に戻りつつある
トンネルの出口が見えてきたみたいに
まだ本調子ではないけれど
自分で心を見る事ができるようになって
自分で体に耳を傾ける事ができるようになってきた
当たり前なことなんて何もない
わたしたちは、生きてるのではなく、
生かされてる
何が起ころうとも
「運命とは、時に残酷であり。でもその残酷さの中で人は慈悲をまなぶ」
ある方が
呟いていたことば
なんとなく、わかる気がする
当たり前と思う心が傲慢であり
全ては与えられている
という事に気づかないと
苦しみから抜け出す事はできない
